そこが私の出発点ですから。
私か集めたデータでは、審議会の認識とはまったく逆向きのトレントだった。
子どもは、ゆとりを失っているのではなくて、むしろ勉強離れであり、学習意欲の低下であり、あの時点ではなかなかデータはなかったけれど、おそらくそこから考えれば、いわゆる教科書で教えるべき基本的な内容の定着がおろそかになっている可能性かあるだろうというのが、私の判断でした。
格差拡大と階層差が結びついた低下だということは、その時点で、1998年頃から私の議論の出発点にあった。
部分的なデータだったけれど、持っていたから言ったわけで、最初から『観念論』でやるつもりはなかった。
そうやって考えていくと、あのまま観念論で教育論争をしていたらどうなっていたか、と想像してみると、あの論争の到達点もわかるはずです。
ひとつは、観念論自体の論じ方が、すでに、学力論争があったために変わってしまったことに気づくでしょう。
教育に関する理想論や観念論的な論じ方が、ある意味では従来と違う形を取らざるを得なくなってしまった。
その点は大きな変化ですよね。
もうひとつは、M科省が実際に全国調査までやることになって、しかも結果が出てきたら、ああいう内容だった。
それに対して、M科省は『良好』だと言った。
その評価に対しては新聞各紙から、かなり厳しい批判が起こりました。
社説を見ても、その点は明らかです。
何ポイント低下したかというのは程度の問題だから、その数字に対する評価はいろいろあるにしても、少なくともマスコミに言わせれば、『M科省は国民が納得するような説明責任を果たしていないではないか』ということが批判のポイントでした。
つまり行政が説明責任を果たしているのか、この結果を厳正に解釈したうえで次の政策につなげる、そういう問題のとらえ方を行政はできていないではないか、という点がM科省への強烈な批判だったと思うのです。
こういう批判が起きたのも、従来型の教育論によくありかちな、観念論に縛られない論争かあったからですよね。
M科省の政策が、実は実態をふまえたものではないことも明らかになってしまった後だったし」「私自身、1人の当事者だったから感じていましたが、99年の最初のころは、教育改革によって学力が低下するのではないか、と言っただけで、たくさんの批判が上がった。
マスコミの論調は今とは逆向きでしたからね。
教育改革を支持する論調が強かった。
ところが、今は、そのマスコミがM科省の姿勢を批判するわけです。
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